いくつもの時代の輝きを放つ『倉敷』おいでんせぇ!!

中国地方にある交通アクセスの拠点『岡山県』。
この街は東日本大震災後以来、住む人が増えているという。
復興庁が公表している避難者数のデータによると、岡山県への避難者は2011年7月の420人から2014年6月には1113人と、増加傾向にあった。
その理由に挙げられるのは「災害が少ない」という点が最も強く。その次に「温暖な気候」「交通網や医療の充実」「生活の利便性」などが続く。

2018年7月、「災害が少ない」という利点が覆される出来事があった。

「西日本豪雨」である。

台風7号と梅雨前線の影響によって6月28日から7月8日にかけて降り続いた大雨は、“晴れの国”と呼ばれる岡山県に予想外の被害を巻き起こした。河川や用水を氾濫させ、家屋を次々と浸水させ、さらには堤防を決壊させて街を飲み込んでいった。全半壊・浸水家屋の数は14,000棟にものぼり、県内の風水害による被害としては戦後最悪となった。
気象庁から公表された観測データによれば、6月28日0時から7月8日9時までの総降水量は四国地方で1,800ミリ、中部地方で1,200ミリ、九州地方で900ミリ、近畿地方で600ミリ、中国地方で500ミリを超えた。これまでの豪雨の事例に比べ、広い地域で2日間あるいは3日間の雨量が多いのが特徴で、西日本から東海地方にかけての地域を中心に、多くの地点で48時間、72時間雨量の観測史上最大値を更新したそうだ。

今、岡山は“晴れの国”の顔を取り戻そうとしている。
復旧・復興に向け国や自治体の支援策もまとまってきた。
豪雨以来、宿泊のキャンセルが相次いだ観光地への支援にも力を注いでいるようだ。

おいでんせぇ倉敷!!きっとこの街が好きになる


岡山県を代表する観光地倉敷の美観地区も宿泊キャンセルの大きな打撃を受けた。
幸いにもこの地区は豪雨の大きな影響がさほどなかったが、岡山県内で被害規模が大きかった倉敷市真備町が全国ニュースに取り上げられたこともあり、倉敷市美観地区までもが水害に襲われたという印象を与えたようだ。県外の知り合いからは「倉敷が浸水したのか?」と心配の連絡が入るほどだった。

倉敷市は私が生まれ育った街である。

よく旅行パンフレットには「風光明媚な昔ながらの白壁の街」というフレーズが使われている。決して街全体が風光明媚なわけではないが、美観地区という区域は昔ながらの蔵づくりの建物を大切に保存し、観光に生かしている。川が穏やかに流れ、柳が風にそよぎ、白壁の街並みが続くとても落ち着いた風景が変わらずに今も残っている。

江戸時代初期、江戸幕府の天領に定められて以来、備中国南部の物資の集散地として発展した歴史を持ち、1969年に倉敷市の条例に基づき美観地区に定められ、1979年(昭和54年)に重要伝統的建造物群保存地区として選定された。
重要文化財に指定される旧大原家住宅、昭和天皇が宿泊したことがある有隣荘、近代化産業遺産となっている倉敷アイビースクエアなど、貴重な建物が倉敷の街を彩る。また美観地区の象徴とも言える大原美術館は、1930年に開館。西洋美術、近代美術を展示する美術館としては日本最初のものである。昭和初期、日本に美術館が数えるほどしかなかった時代に、しかも一地方都市の倉敷にこのような美術館が開館したのは画期的なことであった。ピカソ、モネ、ゴーギャン、ルノワール、さらには横尾忠則といった錚々たるアーティストたちの作品が収蔵されている。

天領の時代から昭和の時代までの建物が混在しながらその一角を形成する倉敷美観地区。それぞれの時代の輝きを放ちながら、この街は多くの人々を魅了してきた。そしてこれからもその輝きは変わることはない。
もし、倉敷に興味を抱いてくれたなら、ぜひ訪れていただきたい。
観光としての見応えはもちろんだが、隣接した商店街や路地裏に入れば、小洒落たカフェや、地元の住人しか知らないような洋食屋や美味しい居酒屋などがたくさんあり、きっと楽しい発見があるだろう。

いくつもの歴史が詰め込まれた「倉敷においでんせぇ(倉敷にぜひ来てください)」。

コラム:JIMMY

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