やってませんか?押し売りの善意【近親者にがんの人がいたら気に留めておくこと】

ツイッターのあるつぶやきが気になった。

母親ががんになって1ヶ月後に手術なので、連休にいく旅行もキャンセルするし、
参加するといっていたイベントも行くのをやめるし、
当分、みんなと遊ぶのは控えます。

上記のような内容を発見し、なんだか違和感をおぼえた。
どうやら、がん患者当事者の母親は「旅行をキャンセルしろ」とも言っていないし、
むしろ、「気晴らしに遊びに行けばいいのに」と言っているにも関わらず、
勝手に自粛して、遊ぶことを控えているようだ。

こういうのが一番、がん患者の当事者は傷つくことなのになと思う。
大きな病気をしたことがあり、長期入院をしたことがある人ならばなんとなくわかるのではないだろうか。病気をして、治療をして、おそらく抗がん剤の副作用や、手術後の痛みで辛い思いをすることはあるだろう。しかしながら、病気を治療しているときに一番つらいことは、身体的な痛みより、むしろ周りの人に心配をかけたり、がん患者当事者が近親者の自由を制限してしまうことに対しての罪悪感である。身体の痛みは自分事なので実はどうにでもなる、もしくは、どうにもならず耐え続けるしかない領域。また現代は緩和ケアの広まりにともない効率よくマネジメントする方法が確立している医療現場もある。要は自分事のことは結局のところなんとかなる。

しかしながら、相互の社会関係、人間関係からくる苦しみはなかなか良い方向に築くのがむずかしい。がん患者のためを思って、近親者が旅行や遊びの予定をキャンセルするといったことは、がん患者当事者にとっては、「押し売りの善意」にほかならない場合もある。

「私ががんになったから旅行をキャンセルするんですか?」

ひどい善意である。むしろ、がんになったということに対して過剰に反応し、勝手に感傷的になり、その結果として旅行をキャンセルする。そして、あなたのために今回は旅行をキャンセルしたという。がん患者の当事者は、ただでさえ不安であるにも関わらず、より不安を煽ってくるような行為をされるわけである。

「私のがんはあなたが旅行をキャンセルしてしまうほど深刻なことなんですか?」

がんの手術をすれば元気になるだろうし、今すぐ死ぬわけではない。しっかり余裕をもって治療にあたっていこう。という、当事者を来るべき手術の日に向けて元気づける。「たいしたことない」という気持ちへと持っていってあげることがとても大事なのに。近親者がお前のためにすべての「楽しい」をやめてお前のために時間を捧げる(かといって、何をどう、がん患者当事者にささげるのかは不明。)というのはみていて腹立たしい。しかしながら、それは家族のことなので誰も口出しはしませんけどね。僕はブサイクな美談だなと思ってみています。

1ヶ月後に手術して間に合うレベルなのだからもう少し安心すれば良い。
本当にヤバイときは当日手術とか、翌日緊急オペとかなります。それがないということはそこまで緊迫した状態ではない。
※ちなみに僕は、当日緊急オペでした。再発した時も当日緊急入院からの翌日から化学療法でした。つまり、手術の予定をたてて、手術をするということはそこまで緊急を伴ったものでもなければ、すぐ死ぬわけではないということ。

しかもである、こうした「押し売りの善意」をしてくる人は、よりひどい結果を招くことになることが僕には容易に想像がつく。

手術をするということは、もしかすると麻酔をして、意識が朦朧とする中で大きな手術をすることになります。このような状態になると、身体を大きく切断して縫合したりするので、痛いです。痛み止めを飲んでやっと耐えることができるかもしれないレベルで痛いです。よく、切腹をして、「は、はやく介錯を。。。」とうことで、介錯をした後に「ありがとう。」みたいなシーンがありますが、まさにそれ、「ほんま痛すぎてむしろ、殺してくれ」。みたいなことになります。

そのような状態になるとホルモンバランスはもちろん乱れていて、理性を制御することはままならないです。
そのため、理性が飛んだ状態を家族は目にするわけで、つまりは、がん患者様からひどい仕打ちを受けるわけです。
そして、近親者たちはその、理性の吹っ飛んだ状態の、余裕のないがん患者様の言葉や対応に傷つき、あるいは怒りを覚えるわけです。自分は、お前のために、手術前に楽しみにしていた旅行や、遊びをキャンセルしたにも関わらず。
こんな酷い仕打ちをしてくるなんて、本当に酷い奴である。何様なのかと。なかにはそうしたことをがん患者様本人に怒鳴りちらしたりするわけである。

がん患者当人にしてみれば、そもそも、旅行をキャンセルしてくれとは言っていないし、むしろ、気晴らしに遊びに行ったほうがいいと言ったわけで。行かずにキャンセルしたのは自分なのにそれを自分のガンのせいにされて不愉快極まりないのである。こちらは手術後で身体的に本当に余裕がないのにも関わらず、そうしたことを今更になって言われてもどうしろというわけである。

結局「がんになった私がすべて悪いということになるんですよね。」ということになる。がん患者へ向けられた「押し付けの善意」はこうして最悪の形で人間関係の崩壊を招く可能性がある。だからこそ、よく気をつける必要がある。

もちろん、手術前で不安だからそばに居て欲しいと、がん患者当事者から要望があるのであれば、旅行をキャンセルしたりすることは必要かもしれない。しかしながら、がん患者当事者にとくに相談せずに、自分で勝手によかれと思い、旅行をキャンセルするであるとか、遊びの活動を自粛する必要はないのではないか。

と、ここまで書いてこの問題の一番厄介なところは、ある程度、精神的に落ち着いていて、読解力もあり、それなりの知性があれば、ここで書いた内容を理解して行動に移すことができるのだが、ここで書いた問題行動を起こす、つまり、「押しつけの善意」をしてしまう人は基本的にここに書いてあることが理解できないという点だ。

原因としては、精神的に安定していないことや、読解力や知性が低く、物事を抽象的に考えたり、論理的に考えることができない人。何事も感情論で済ませようとする人はここに書いたことを読んでも理解出来ないし、実践できない傾向にあるだろう。

おそらくここで書かれた主張を読んだ後に、「でも、」「だって」といった言葉を発し、独自の感情論を展開するわけで、結局は自分主体の善意しか考えることができなかったりする。だから僕はそうした人とは一定の距離を置く。近づいてこれらのことを理解させる自信がないからだ。

方法としては、この主張を彼らが大好きでかつ、思考停止の元凶でもある「うつくしい感情論」で受け入れることができるストーリーに乗せて提示すればいいのかもしれないが、そこまでやる義理が僕にはない。

そもそも、ツイッターで家族の大きな病気のことを簡単にさらっとつぶやいてしまうところに、その人の感性や、プライバシーの取扱についての時代遅れを感じるのであまり近づきたくないなと思うわけで。そして不幸や、思いもよらぬことに対して酔っている感がすごく恥ずかしいと思う。僕自信も東日本大震災の当日のツイッターは同様の不幸や、あまりにも大きな災いに対して酔ったつぶやきをしていたが、ほんとうに恥ずかしいことだなと今改めて思う、そういうことは20代までで卒業しないといけないなと思う。

こうした「プライバシーに関係する不幸が起きて、それにたいして酔う」ようなつぶやきはよくSNSで目にする。その際にその人の知性なり、教養や世界観が垣間見れるので今となっては危ない人を見分けるいいフィルターになってるのかもしれないと思っている。

<ライター:大門 大輔>
20代でステージ3のがんを経験。長期入院による化学療法と手術で無事に回復し、その後5年の経過観察も問題なく無事終え根治した経験をもつただの人。入院中にスターバックスコーヒーに通いつめ8キロ増量。「手術後に自力で歩いて飲んだマンゴパッションティーフラペチーノは最高の味」とのこと。

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