「触られているうちが華だよ」と言う人の底しれない卑しさ

何らかのイベントや、飲み会、会食の席で過剰なスキンシップをしてくる人はいないだろうか。
異性に対してのこうしたボディタッチに関してはセクハラであるという点で他者から目を向けられるため大っぴらにされることは減ってきていると願っている。

今回、テーマとして取り上げたいのは、同性同士、しかもゲイにおけるこうしたボディタッチについてである。
ゲイ同士となると冗談でスキンシップをしたりすることが多いと思う。
それは腕であったり、お尻、時にはそれが股間であったりする。
私もよくタッチするし、タッチされることもある。
タッチしてくれて嬉しいときも多い。
しかし、ながらタッチしてほしくない人もいる。

多くの人はタッチしてほしくない人に対してやんわり、もしくはある程度強く拒絶をするのだが、その際に相手や周りの人からよく耳する言葉が

「触られているうちが華だよ」

という言葉である。この言葉の意味を詳しく説明するとだいたい以下のようなものである。

ボディタッチなど、チヤホヤされてモテるのは今だけなのだから、チヤホヤされているうちは甘んじて触ってくれている人の要望を受け入れ、その場の空気を乱すな。といったものであると思う。

また、ボディタッチした相手に拒否されたときのひと押しとしても使用されることが多い。
「どうせ、チヤホヤされているのはモテてる今だけ、あと数年すればお前なんか誰も相手にしてもらえなくなるんだからな。」と言った具合の捨て台詞のようなもの。

そして、だいたい、この言葉によって、ボディタッチが正当化され、本当は嫌だけど、されるがままになったりすることがあるのではないかと思う。

しかしながら、この点で難しいなと感じるのは相手は本当に嫌がっているのかという点でもある。
つまり、ある種のロールプレイとしても成立してしまうという点だ。
まずは触られても拒否をして、安いやつではないということを示す。
「触られているうちが華だよ」と言われて、仕方なく触られている風を装うということもなきにしもあらずであるということだ。

いやいや違う、それが「拒否に対しての正当化」だろうが、「捨て台詞」だろうが、「ロールプレイ」であろうが
そもそも「触られているうちが華だよ」という言葉が出てきてしまう本人の卑しさが問題なのではないかという点である。

「触られているうちが華だよ」という言葉には相手に対しての敬意がかけているのではないかと思うのだ。
つまり、「今がだいたいお前の輝きの頂点であって今後、お前の人生なんて衰退するということを決めつけている」点に相手に対しての敬意がないということである。
人ではなく、何かの消費物としてその人をみているからこそ口について出てくる言葉だと思うからだ。

もちろん、そこには、本人の経験的な背景もあるのではないかと思う。若い頃はチヤホヤされていたのに、今はめっきり誰も相手をしてくれない。
と言ったものである。そこにはいくつになっても自己投資を惜しまず研鑽し輝いている他の同世代の人は見えておらず、自分磨きを怠った者の自己欺瞞によりつくられた「常識」として言葉を発している。「私の『常識』としてお前は今が頂点で、これからは衰退の一途をたどるはず、だからこそ、輝かせてやってる私がそれ相応の利益をもらってなにが悪いの?」といった考えが根底にあるように思えてならない。

だから私は「触られているうちが華だよ」ということを言う人とは距離を置くようにしている。

ちなみに、言葉というものは面白いもので、嫌な人に触られた後に友人らに「大丈夫か?」と声をかけられ、
「触られているうちが華だから」と言うと儚げで謙遜した感じになってしまうのはまた別の話。