「トレーニー」って便利な言葉だよね。この10年でジムのイメージ変わったよね。

ここ数年でジムやワークアウト関係で流通している言葉として「トレーニー」というものがある。
私がこの言葉をはじめて聞いたのはとある筋トレyoutuberからだったのではないかと思う。
トレーニーとは鍛えている人を指している。
あくまで、ジムなどで鍛えているという過程を説明しているに過ぎない言葉であると私は認識している。

つまり、鍛えていれば見た目が、マッチョであろうが、デブであろうが関係ないのである。
筋トレをしている人ということを形容している言葉であるから、実は体型に関係なく使用できる。
しかも相手の体型に関係なく、相手を卑下することなく使いやすい言葉ではないかと思う。

「ジムに行く」ということはある程度筋肉がある人や腹筋が割れている様な人でなければ行ってはいけない。
そういう体型ではない人はジムに通う前に自宅でトレーニングをして、ある程度身体をつくってからジムには行くべきである。と思っている人は少なくないのではないだろうか。10年前、私もそう思っていた。しかし、それは全くの虚構であることを後々思い知らされる。筋肉が浮き出ていない普通体型で文化系の私はジムには行ってみたいけど、ジムというところへに行くにはそれなりの身体ができてないと無理だなと当時は思っていた。

大学院生をしていたとき、そうした思いを、多少ぽっちゃりしている先輩に言ったら
「ジム行けばいいじゃん、私は行ってるよ。学割で安いし。」と返答するではないか。

え、その体型でジムに出入りしていいんですか?と内心、驚きはした。
「でも、やっぱりジムってマッチョの人や体育会系の人が集う場所って感じで行きにくいですね。」

と返答すると、
「え?ジムにマッチョの人は少ないよ。むしろデブ多いよ。」

とのご回答をいただく。そもそも理想の体型を作るために行く場所なのだから、最初はマッチョではないのかもしれない。

それから、ジムに通いだすのだが、なんというか、当時はまだ「ジムに行ってます」ということを形容する都合のよい言葉はなく、しかも、「ジムはマッチョが行くところ」というイメージが先行していた時代だったので、「ジムに行っている」と言えば、「マッチョになりたいのか?」という、ちょっと「どうしちゃったの?」系の視線を浴びることがしばしばあった。そんなことがあったのが10年前。それが、かなり良い方向に変わってきたなと思う。

「ジムに行くこと」ということの敷居が低くなったこと、健康を維持するための目的としてジムに通うというトレンドができてきたこと。ダイエット、美容的にな観点から、体重を減らすのではなく、筋肉を増やして脂肪を燃焼するという考えが出てきたことなどがジム利用者の敷居を低くしてきているのではないかと思う。

10年前は「ジム」という言葉で想像されるのは下記のようなものではなかっただろうか。
マッチョ、筋トレ、スポーツ選手、体育会系、ボディビル、ダンベルを上げ下げする、ベンチプレスを持ち上げる、ランニングマシンなど

これが2020年では変化しているのではないか。もちろん、10年前のイメージはそのままあるだろうが、それに加えて下記のようなイメージがでてくるのではないか。
美容、健康、脂肪燃焼、エクササイズ、ワークアウト、など。女性が好みそうなキーワードが増えてきた。むしろ、ジム側が女性の利用者増を狙った促進活動をしてきたのではないかと思う。そして、オシャレさをウリにしているジムも誕生してきている。まさに「ジムに通う」ということがオシャレの一つとして消費コードに組み込まれてきた10年でもあるのではないかと思う。

そうしたなかで、「私、ジムに通ってるの」という言葉が、当初はオシャレさや、意識が高いということを表象することに一役買っていたが、ジムに通うことがたいして珍しいことではなくなってきた2020年では逆に、「ジムに通ってます」ということをあえて表明するのはなんだか恥ずかしい。

そして、「ジムに通われているんだから、サプリやボディトリートメントに力を入れましょう」みたいなことを言われてもそこまで心にぐっとこない。逆に「ジムに通っているのにその程度」みたいにみられているのかもしれないと思ったりする。なんだろう、この「ジムに通ってます」が醸し出す野暮ったさは。それはジムで通ってる人たちだけの感覚であって、ジムに通っていない人にはまだ、そうした感覚は無いのかもしれないが、私は「ジムに通っている」ということをあえて言うことに野暮ったさを感じるし、「ジムに通ってる」と他人に言われることになんとも言えない恥ずかしい気持ちを感じる。もはや褒め言葉やプラスに働く言葉ではないのだなと。

なんでそう感じるようになってしまったんだろう。ちょっとジムの風景を思い浮かべることでその理由がわかった。この10年で確かにジムでの女性の利用者数は増えたのではないかと感覚的に思う。その結果、ジムの風景がどのように変わったのかというと、品のないおばさんたちの井戸端会議の場所にジムは変貌してしまったということだ。私のジムはその傾向が顕著なのではないかと思う。「ジムに行く」ということがある程度、品の良い趣味であった時代から、いわゆる年配女性たちの社交の場と化したことで、うっとおしい雑談おばさん集団がジムのスペースを無作法にも占拠し非常にうっとおしいと感じ始めたのはここ数年のことではないかと思う。おわかりの様にとにかく「うっとおしい」のである。

つまり、「ジムに行っている」ということで想起されるのは、そうした不作法でうっとおしいおばさん連中と一緒にされるような感覚が少なくともどこかで作用し嫌なのであろうと思う。そんななかで流通しはじめている言葉「トレーニー」は、「鍛えている人」を指してはいるが、それ以上のイメージを含んでいない新しい言葉である。だからこそ、とてもしっくりくるし、受け入れやすい。体型の差別もなく、「鍛えている人」という、行為を指している言葉なので汎用性が高く使いやすい。「トレーニーとしてサプリやボディトリートメントに力を入れてみるのもいいかもしれないですよ」と言われると、サプリやボディトリートメントはズルでも怠けや甘えでもなくトレーニングの一環として必要なことであるように見えてくるので不思議と受け入れられてしまう。
個人的にはいまイチオシのパワーワードだなと思う。

だから、要所要所で、「トレーニー」という言葉を相手に向けて使ってあげると効果的なのではないかと思う。あまり使いすぎるとすぐに陳腐化するので注意をする必要はあるが。また、自分を形容するときに「トレーニー」という言葉を使用するのも気をつけた方がいいのかもしれない。というか使わないほうがいいのかもしれない。なんかマウンティングを取られているように感じてしまうからだ。

今後も、ジムを取り巻くイメージや活用のされ方は変貌してくると思われる。10年後のジムのあり方はどのようになっているのだろうか楽しみである。

GORILAX
コラムニスト ふと湧きだす好奇心から、いろんなセカイを巡るのが好き。実際に現地に足を運んで、海外のイベントや食、文化についてのコラムを執筆したり、国内の「面白いもの」について紹介していきます。社会学、文化人類学の視点からもアプローチしていきます。