私たちが戦うべき相手は”ウイルス”。

誹謗中傷は何も生み出せない 前進もしない

誹謗中傷は何も生み出せない
前進もしない

新型コロナウイルスの拡散防止に伴い、日本国民が、いや全世界の人々が自粛生活を強いられている。人に感染するとしばらく潜伏し、急激に重症化するなどの症例があり、非常に恐ろしいウイルスであることは確かだ。しかし、このウイルスは感染していない人々の心も蝕んでいっている。いわゆる「コロナ差別」であり、むしろこの心を侵食する差別ウイルスの方がタチが悪い。

栃木県のあるスーパーでは、従業員に感染者が出たとデマを広められ、お客が激減したという。また、某病院でも「コロナ患者を診察した」として、問い合わせが殺到し業務ができなくなった。感染者を受け入れている医療施設で働く看護師の子供が、保育園の通園を断られたというニュースもある。

先日、宅配業に従事する人からこんな話を聞いた。
代引きの商品の配達に行くと、インターホン越しに”玄関から5m離れてください”と言われ、ドアが開いたと思ったら、ジップロックにお金が入れられていたという。そして”お釣りを入れて荷物を置いて帰ってください”と告げられたそうだ。不特定多数に会う宅配業者はウイルスを持っていると言う偏見がここに現れており、人と接することすら拒んでいる。

こんなことでは、新型コロナウイルスに感染した人も、感染の疑いがあるんじゃないかと自覚する人も、さらなる差別を恐れて,病気の症状を隠しかねない状況に陥っていくのではないか。
こうした差別を行う人々は、「自分がもし感染したら?」ということを最も恐れているタイプなのだろう。しかし、ここまで世界中を侵食しているこのウイルスは、いつ、どこで感染するかわからない。自粛していた人までも感染した症例もある。もしかすると、もうこのウイルスが体内にいるのかもしれないのだ。
コロナ禍の中でも私たちの生活を支えるために懸命に働いている人たちには、感謝や敬意を払わないといけない立場なのに、なぜ差別をしてしまうのだろうか?

SNSでは「#コロナに負けるな」というハッシュタグが立っている。
肉体的な感染だけでなく、心までも感染しては、完全にコロナに負けてしまうではないか。
私たちが立ち向かう相手は、人ではなく、ウイルスであることをしっかりと認識したい。

コラム Jimmy

伊集院 遥
人生の移ろいを感じながら、風のように生き、雨のように歌い、太陽のように人を照らしたい。