「田舎に住みたい」というけれど、都市の人は「地方」を「田舎」と思っていない

都市の人は「地方」を「田舎」と思っていない

「田舎に住みたい」ということは「地方に住みたい」ということと同じ意味ではないのかもしれない。
長野の湖でカヌーを体験していてふと、そう思った。

「田舎に住みたい」「田舎で余生をゆっくり過ごしたい」都市の人はそうしたことをよく言う。
都市の人は都市の生活に疲れているからなのか、もともと田舎の生活に興味があるからなのかはよくわからない。

ただ、そうした言葉を聞くたびに、地方の人は「いらだち」と「期待」を募らせる。
田舎の生活は都市以上に厳しいもので決して豊かではないということを地方の人は知っている。

しかし、人手が年々減っていく地方において、人が増えるということはそれだけで期待のもてることあるのは確かなこと。

都市の人が言う「田舎に暮らしたい」ということにどれだけ地方の人が騙されたか。
一方で、都市の人はどれだけ地方の人に「田舎」で期待を裏切られてきたか。
都市の人が地方へ移住する。これがなかなかうまくいかない。
こうした状況がなぜ生まれるのか。

私は長野のリゾート地でカヌーを漕ぎながらあることに気がついた。
都市の人は「田舎に住みたい」というが、彼らが想定している「田舎」とはそもそも「地方」のことではない。
都市の人は「リゾート地」に住みたいのではないか、と。

透き通る水が美しい湖。それなりに観光客が賑わっている。近くに温泉もある。
いわゆる「リゾート地」は長野県をはじめ、様々な場所に点在している。
だが、すべての都道府県にそうした優秀なリゾート地があるわけではない。
知名度があり、インフラや設備環境の整ったリゾート地は決して多くはない。

しかし、多くの都市の人が触れた「田舎」とはそうした「リゾート地」である可能性が高い。
「リゾート地でゆっくりと生活がしたい」
とても納得のいく要望であると思う。この要望については都市の人も納得するだろうし、地方の人も納得するだろう。

つまり、日本の多くを占める地方に都市の人はたいして関心を持っていない。
都市の人が興味関心を示し、住みたいと思っている場所は地方ではないく、あくまで「リゾート地」であること。
しかも都市からのアクセスが比較的しやすい場所なのではないかと思う。

認定NPO法人ふるさと回帰支援センターの調査により、「移住先人気都市ランキング」が1~20位まで発表されている。
上位5位は以下の通り。
https://www.furusatokaiki.net/topics/ranking_2019/

<2019年移住先人気都市ランキング>

1位:長野県

2位:広島県

3位:静岡県

4位:北海道

5位:山梨県

2位の広島県は通年は4~6位ぐらいに位置しているものの、今回はランクアップしたとのことで、なんとも言えないが、それ以外の都道府県は有名なリゾート地があり、土地としてのイメージとしてもリゾート観光が有名なところである。

過疎化の問題が常に上位にある地方にとって都市の人を移住させるということはとても安易な考えである。なぜなら、多くの地方は都市の人を満足させるだけの資源と仕事を持ち合わせていないから。

本気で地方へ人を増やしたいのであれば、都市の人が想像している田舎、つまり、「リゾート地」を作るしかない。
そうすれば人は増える。劇的に増えるし、街の状況は変貌する。

例えば、地域おこし協力隊らと協働して、空き家の状況を把握してそこに都市の人を入れ込んでも大して意味はないと私は思う。
前述したように、都市から来た人は様々な地方のルールと現状によって騙されたと思うだろうし、
それにより地方から撤退した哀れな都市の人をみて、地方の人は都市の人を「根性なし」と罵るし、「都市の人にまた裏切られた」と思うだろう。
もちろん例外はあり、ある程度年を重ねた人が定着する場合もあるだろうが、それが都市の人を巻き込んだ一大ムーブメントになり社会を変革したという話は聞かない。

だから、地方は「移住先人気都市ランキング」などに踊らされてはいけない。自分たちの地方に必要以上の価値を見出すべきではない。ランキングはあくまで他の都道府県との相関関係の上に成り立つ。優秀なリゾート地を有していない地方は「自分たちも頑張ればなんとかなる」と安易に思ってはいけない。
そもそも持っている資源や地理的な優位性に差がありすぎるのだ。

都市の人を呼び込むためには戦略的に「田舎」として「リゾート地」を創造することが重要になると私は思う。
観光開発においてリゾート地開発は批判されることが多い。批判としては環境破壊や、地域の文化に根ざしたものではないというものがある。
しかし、リゾート地の中には時間の洗礼を受け、独自の「リゾート文化」を形成した地域もある。
また、リゾート地開発に対しての批判を受け止めた上で戦略的にリゾート開発を行っている事例もある。

私が注視するのはそうしたリゾート地が都市の人に「田舎」として認知され消費されることで、都市の人の移住先として選択されそこで社会形成を行っていくことだ。都市の人にとって地方は「田舎」ではない。一方で、地方の人は地方は「田舎」であると思っている。
このすれ違いが都市と地方で「田舎」をとりまく不幸な実態を形成する一端だったのではないかと思う。
この勘違いを広く是正し、「田舎」についての認識をすり合わせる事が必要なのではないかと思う。
ただし、それはあくまで「都市の論理」で展開されるものである。都市の人が「田舎をどのように想像し、消費の対象としたいか」にかかっている。
地方の人はそれをつぶさに観察し、よく考えて都市の人を飼いならすことが求められているのではないかと思う。

GORILAX
コラムニスト ふと湧きだす好奇心から、いろんなセカイを巡るのが好き。実際に現地に足を運んで、海外のイベントや食、文化についてのコラムを執筆したり、国内の「面白いもの」について紹介していきます。社会学、文化人類学の視点からもアプローチしていきます。