LGBTに興味があるなら観るといいアニメ「BANANA FISH」

Amazon Prime videoがオススメしてきた「BANANA FISH」というアニメを観た。
ノイタミナ枠で放映されたものでクオリティは高いと思う。
アメリカのギャングのドンパチ騒ぎ的な話なのかと最初は思っていた。たしかにマフィアとストリート・ギャングの抗争が描かれているのは間違いない。しかし、単純なお話ではなかった。
このアニメのよかった点は「人を想う気持ち」、「人に敬意を払うということ」ということを「セクシュアリティの問題」を抜きにして自然に描いていることだと思う。

話に出てくるキャラクターは、ほぼ、男性で女性はあまり出てこない。マフィアとギャングの抗争なので仕方ないのかもしれない。ルパン三世の峰不二子のような裏社会に出てきそうな女性キャラクターは出てこない。男社会の話、ホモソーシャルの話になっている。これは、原作の漫画を書いている吉田秋生が女性であり、連載は女性コミック誌で行われていたということも大いに関係しているのかもしれない。

主人公は少年売春宿でマフィアのボスに育てられた経歴になっており、主人公と対峙するボスはもちろんゲイである。ゲイということが話しのなかでチラホラ出てくるが、「ゲイ」ということを否定することなく、話が展開する。このことに多少不自然に思うのは気のせいなのか。アメリカの社会は「ゲイだからどうした? Gay so what ?」という意識がすでにベースになっているということを表現しているのかどうかはわからない。ただし、「成人男性が未成年の少年と性交する」ということに対しては批判的に描かれている。もちろん、こうした背景設定は腐女子的、ボーイズラブ的な要素を制作側が付与しているからという見方もできるだろう。

以上に挙げたような背景や環境があるからか、「男が男を好き」ということに対しての一般的な人のちょっとした驚きや拒絶というものをほぼ抜きにして話が展開していく。つまり、ホモソーシャルなのに、ホモフォビアが無い社会が描かれている。男社会の話なのに、男社会のあるあるネタでもある「ゲイ批判」がほぼ存在しない社会が描き出されている。これは面白いと思った。

ホモソーシャルなのにホモフォビアがほぼ存在しない状態になると、それまでは意識しがちな「男同士の関係性」から、純粋に「人間同士の関係性」について目を向けることができるようになるのではないかとアニメを観ながら思った。つまり過剰に「男同士の恋愛」に反応する必要がなくなるわけである。そしてそのことが、先程よかった点として挙げた「人を想う気持ち」、「人に敬意を払うということ」がすんなりと受け入れられる形で入ってくるように思われた。これってすごいことだなと思った。

いま、LGBTに興味がある人は増えてきているのではないかと思う。そして、その興味からLGBT関連のメディア作品、映画やドラマなどを観る人もいるのではないかと思う。しかしながら、LGBT当事者ではない人が、いきなり「興味があるから」、とか、「LGBTの人を学ぶために」とかでLGBTをメインテーマとして取り扱っている作品を観るのはなかなか冒険であるなと感じることがある。確かに、LGBTの世界の断片を知ることもできるだろうし、衝撃的な内容で楽しめると思うかもしれない。また、「やっぱり自分たちとは考えが違う人たちだな、心の奥底では受け入れられないかもしれない」と思うかもしれない。

ヘテロであろうが、LGBTであろうが、セクシャリティに関係なく、「人を想う気持ち」、「人に敬意を払うということ」というものは存在するのだろうと思う。だが、LGBTではない、いわゆる「普通の大多数の人」にいきなり「これがLGBTだ!」と魅せつけてしまうことで、LGBTの人々の「人を想う気持ち」、「人に敬意を払うということ」を伝えることがはたしてどれだけできるのだろうか。
私は「ちょっと待てよ」と思ってしまう。確かに、LGBTをテーマにしたメディア作品は衝撃的で魅力的な内容を提供するだろうと想像ができる。しかし、ちょっと刺激が強すぎるのではないだろうかとも思う。強い刺激はセンセーショナルに社会を動かすが、本来伝えたいメッセージを置いていってしまうこともありはしないか。

「BANANA FISH」というアニメ作品は、ある意味、セクシュアリティやLGBTを考える前に、「そもそも人として何が大事なんだろう」ということを考えさせてくれる作品であると思う。24話もあり長い話ではあるが、主人公や登場人物の描写は興味深く、何らかの学びを得ることができる作品であると思う。

BANAN FISH 公式ホームページ