東京に住むか、地方に住むか。文化資本からのアプローチ

新型コロナで文化資本の格差は決定的になった。
新型コロナが流行る前、文化資本は東京を中心とした都市部に集中していた。それは今も変わりない。しかし、その文化資本へのアクセスを容易にする交通手段が豊富にあったし、文化資本を享受することができる「観光」が成立していた。

「文化資本」とは https://liberal-arts-guide.com/cultural-capital/

つまり地方の人間は「観光」を通して海外や東京都市部の様々な文化資本へアクセスすることが可能であった。また、日々の生活の質を高めるため、都市部ではなく、あえて地方に拠点を置き、生活費を割安に抑え、文化資本への投入比率を上げるということを行っている人もいた。

私も地方へ住み、日々の生活費を低く抑えることで文化資本への投資を高めていった。それにはもちろん「観光」という方法が無くてはならなかった。

こうした「観光」を通しての文化資本形成の仕組みを新型コロナは破壊した。
人々は安易に移動することができなくなった。不要不急の場合を除き、県外に行くことは好ましくないという社会通念が共有された。東京に行くのはなおさらであり、東京に「遊びに」行くということは社会的に責任を負ってまでするべきことではないという見方が一般的となった。

もちろん、文化資本自体の消費の拡大も縮小傾向にある。よって、文化資本にふれることができる場所が地方から姿を消さざる得ない状況になった。

文化資本を高めることに価値を置いている地方在住者、とりわけ家族と生活している人にとってそれは絶望のはじまりと言わざるえない状況である。

「新型コロナにより、東京を中心とした都市部から地方へ移住する人が増えてきている。」だとか、「テレワークによってどこでも働く場所を選ばない人が増えた。」とか、「あえて今、都市部で働く必要性は無いと考えている人が増えている。」という言説をよく目にするが、「文化資本」について着目した場合、こうした判断は決して正しいものではないと思う。

例えば、東京の美術館で開催される特別展があったとする。東京都市部に住んでいれば、比較的容易に行くことができる。しかし、地方から行くとしたらどうだろうか。おそらく批判の目にさらされるのではないか。仕事のついでに美術館へいった。というのならまだしも、その特別展を観に行くためにわざわざ東京へ赴くということは、できない世の中になってしまった。これは科学的にみて感染確率がどうこうという話ではなく、地方に住む人の社会関係上、地方の人は住んでいる県内から出ていくことが制限されている。つまり、地方へ住んでいることは生活の質を下げる。そして、都市部の人間のみが文化資本に容易にアクセスし多くの利益を享受することになる。

新型コロナによって文化資本は東京へ集約されてしまったのだ。また、これは文化資本第2の都市であろう大阪と東京の差を大きく広げることにもなったと私は思っている。つまり、文化資本形成に即して、生活の質(QOL)を上げるためには積極的に地方から東京へ移住することが望ましい。

そしてこの選択が5年後、10年後に与える影響は凄まじいと思う。なぜならば、今の構造は数年の経過を経て常識として定着する可能性があるからだ。さらに、それは新型コロナが終わった後、海外との交流が活発になればなるほど影響を受けるのではないかと思う。

つまり、ここ数年でよく耳にしていた地方への移住への価値は新型コロナによって奪われてしまったのではないかと思う。地方で生活をする価値は下落してしまったのである。目的があり東京へ移住するのは良いことだろう。また、そこに目的や思いが無くても東京へ移住するということは今後、将来へ向けた自分への投資としては必要なことなのではないかと思う。東京へ住むということが将来的にいまだわからぬ文化資本の複利を貯めることにつながると思うから。

GORILAX
コラムニスト ふと湧きだす好奇心から、いろんなセカイを巡るのが好き。実際に現地に足を運んで、海外のイベントや食、文化についてのコラムを執筆したり、国内の「面白いもの」について紹介していきます。社会学、文化人類学の視点からもアプローチしていきます。