少子化にしているのは社会的に逸脱した過剰な要求を突きつける「育児をしている人」だ。

新卒の懇親会は、新しい始まりを祝う場所であり、新たな絆を築くための大切な時間だ。だから、僕がその懇親会の出欠確認を任された時、なかなか複雑な気持ちになった。その理由は、子持ちのある女性からの特殊な要求だった。

懇親会の出欠確認をしていた時、子持ちの女性が、新卒の懇親会で途中退出したいと申し出があり、もちろん家庭が大事だと思うので承諾した。 また、2時間3,500円のブュッフェスタイルの飲み放題食べ放題スタイルの会なのだが、1時間しかいないので割り引くことはできないのかと交渉された。 今回はこの件について言及したい。

結論から言うと、なんて下品なことを言う人なんだ。と思ったこと。今までこの人と仕事で絡むことはないが、今後一緒に仕事をする際は気をつけないといけないなと思った。

ではなぜ、下品と思ったのか。 相手の側に立って主張の根源がどこにあるのかを探ることから始める。

育児をしながら働くのは大変である

おそらく彼女は子持ちで育児で大変である。大変な中を懇親会に参加するための時間を割いている。「私は育児で頑張っているのだから多少のわがままは聞いてもらって当然である」と思っている節があると私は思っている。 育児をしているのだから、時間に遅れたり、仕事の精度が下がるのは仕方ないことである。確かに現実問題としてそれは起こりうる話である。というか、起こっている話である。仕方のないことである。もちろん予想もできたことである。

「育児が大変で思うように仕事ができないのは当然である。よって仕事ができなかったとしてもそれは自分の仕事の評価外の話である」ぐらいに思っている人がチラホラいる。ではなぜうまく仕事ができないことがわかっていたにもかかわらず、それに対応するために保険的な準備をしていないのか?という点が気にかかる。周りの人に「たぶん遅刻するからその分迷惑かけるのでサポートをお願いします」ということが言えないのか。「仕事の精度が下がるのでその分、チェックとサポート面を厚くお願いしたい。」といったことができないのか。こうした環境を整える要望は本人から発しないといけない。なぜならば、周りからこうしたサポートをしようと動くと「私を会社から追い出そうとしている」とヒステリックに怒り出してしまうこともあるからだ。

無礼の源泉は紙一重で誕生する

もちろん頼みやすい雰囲気を作っていくのは周りの人間である。これはとても大事なことであると認識している。しかし、要望を顕在化し伝えることは本人から行うべきことであると私は思う。 そういう意味で、今回のテーマの彼女は自分の要望を伝えてくれたわけなので素晴らしいと思う。自分の育児に関わる問題について交渉をしてくれたわけだから良いと思う。

しかし、その要望がいつも全面的に受け入れらるわけでもないし、社会的にみて感覚として逸脱しているものを要望として出すことはやめてほしい。

懇親会はごはんを食べるという単純行為ではないよね

懇親会というイベント(食事はブュッフェで飲み放題)で半分の時間しかいることができないので割引にしろというのは私は馬鹿げていると思う。 そもそも懇親会は食事ではない。懇親をするためのイベントであり、それに参加する権利に対して対価は支払われるべきであると思う。よって参加する以上は対価を支払うべきである。

これに似たもので例えば演奏会や観劇において途中で退出するから、半額返金をしろという要望はまず通らない。そのように我々の社会は認識しているし、実際のところルールとしてはそのようにできている。 バイキングやブュッフェスタイルの食事についても同様である。 90分コースの内60分で食事を終えたので、残りの30分の分は返金しろという要望はもちろん成立しない。そんなことを要求する客がもしいたとしたらそれはある種の事件性すら帯びていると多くの人は認識するのではないか。

しかし、今回起きたことはそれに相当するようなことである。通常ではあり得ないことである。しかし、彼女はそのような要望を持ちかけたのである。

過剰な甘えは狂気的に人を貶す

私はそこに彼女の過剰な甘えを見ることができる。「私は育児して大変なんだから」「私は育児でお金がないのだから」といったことに端を発する過剰な甘えである。果たしてそんな甘えは許容されるのであろうか。 おそらくそんな過剰な甘えは許されない。そして、そのような過剰な甘えに対して厳しく罰していくであろう人たちはおそらく「同じ育児をしている人たち」なのだろうと思う。 多くの人が育児経験者で、実際に今、育児をしている人は周りに多い。しかし彼女のような過剰な甘えに基づく不躾な要望を伝えてきた人は彼女以外にはいなかった。 こういう人が1人でもいると、育児をする環境はよりしんどくなると思う。現に、わたしは育児なんてしたくないと思った。要は少子化に拍車がかかったわけである。そんな辛い思いをして、しかも、社会性が、著しく低下した要望を当たり前かのように提示してくるような人種になる可能性がある「育児」という経験を私はしたくない。

育児のせいにして 社会的常識を忘れてはならない

彼女のような要求をする人が1人でもいると、育児をする環境はより難しくなる。それが少子化の原因の一つになるとも言えるだろう。育児をすることで社会性が低下し、社会的な常識から逸脱した要求をするような人になる可能性があるという恐怖を感じた。

育児は確かに大変なことだ。しかし、それはそれとして、社会的な常識を守ることは忘れてはならない。育児を通じて、社会の一員としての責任を学び、成長することが大切だ。それを忘れるぐらいなら育児なんてしたくない。