ファミリーマートの「お母さん食堂」というブランドについて批判が出ているそうだ。
ファミリーマートの「お母さん食堂」の説明は下記の通り
お母さん食堂は、「家族の健やかな生活」を想って作った、美味しくて安全・安心な食事と食材を提供するブランドです。お客さまにとって「一番身近で美味しくて安心できる食堂」を目指しています。
ファミリーマート – お母さん食堂
このことについて、女性の社会進出やジェンダー的な視点から批判をしている人がいるとのこと。
署名「ファミリーマートの『お母さん食堂』の名前を変えたい!!!」を立ち上げたのは、京都府・兵庫県・岡山県に住む女子高校生3人だ。 3人は公益社団法人ガールスカウト日本連盟の会員。全国のメンバーが集まり、女性差別やジェンダーバイアスなどについて学んだ際、この「お母さん食堂」というネーミングに疑問を抱いたという。 署名グループでリーダーを務める女子高校生(3年生)は言う。 「『お母さんが食事をつくるのが当たり前』というアンコンシャス・バイアス(無意識の偏見)を助長しかねません。日本では女性が家事や育児をするものという価値観が強く、仕事を諦めざるを得ない女性も多いのが現状です。
ファミマ「お母さん食堂」の名前変えたいと女子高校生が署名活動、「料理するのは母親だけですか? [Yahoo!ニュース 2020/12/28(月) 18:21配信]
ファミリーマートの惣菜ブランド『お母さん食堂』シリーズを批判するツイートが話題となり、これに対し多くの反論の声があがっています。
投稿されたツイートは「ファミリーマートでお惣菜を買おうとしたのですが、お惣菜コーナーに着いた瞬間この景色が広がっていて悔しくて泣いてしまいました。食事は「お母さん」が作るものと性で役割を固定し、女性の社会進出を拒むファミリーマートには怒りしか湧きません。何も買わないで急いで出ていきました…」といった批判コメントとともに、店内の売り場の写真をアップもの。
ネタか? ファミマ『お母さん食堂』炎上を狙うツイートに反論噴出で撃沈状態ファミマさんはフェミさんの味方やん[exciteニュース 2020年11月4日 11:30配信]
もともと、女性の社会進出やジェンダーの問題に興味があったのから、「お母さん食堂」という言葉を見ただけで、感覚的に拒絶反応をしてしまったのかもしれない。しかし、ここで使用されている「お母さん」とはどういう意味を指しているのかを落ち着いて考えてみる必要があるのかもしれない。
おそらく、その最初のステップでつまずいてしまった彼女は自分の思い込みをより強固にして、それが「フェミニズム的」な運動へと変貌してしまったのではないかと思う。
私は、彼女の「お母さん=女性」という認識がまず固定的で、思考を狭めることの原因になっているのではないかと思う。
「お母さん」は「女性」にしか、なることが許されないことなのだろうか、と。
男性や性別が不明、その他もろもろの人は「お母さん」になれないのだろうか。
ここに彼女の考え方のとても寂しい前提が見え隠れしていると思う。つまり、彼女にとって「お母さん=女性」であってそれ以外は「お母さん」になる可能性はないというものである。おそらく、こうした批判を直接彼女にぶつけると、
「だって、常識的に考えて、お母さんは女性でしょ。お母さんになる女性が社会進出に苦しんでいるからこそ今回のことを問題に取り上げた。」と言うかもしれない。
女性が社会進出に苦しんでいるという事実はもちろんある。昇進しづらかったり、平均給与が低かったりする。しかし、こうした事例を今回の「お母さん」ということと安易にくっつけてしまうことは危険であると思う。
どう危険なのか。そもそも、「お母さん=女性」という認識から主張が形成されているところがまず問題であり、そもそもの「お母さん」という言葉の認識がおそらく間違っているのではないか。言語学的な側面からいうと、「お母さん食堂」という言葉のシニフェイエ(意味されるもの)についての理解が不足している。
まず、とっても大事なことだが、「お母さん」になることを切望している、男性や性別が不明、その他もろもろの人はいない、と言い切ることはまずできない。というか、実際にいる。
もちろん、女性だけれど「お父さん」になりたいという人もいる。
そうしたマイノリティや社会的な弱者を考慮に入れていない。そうした人がいないとでも思っているのか。大多数のお母さんは女性であるから、それ以外は除外してしまったのか。
とにかく、女性の社会進出に絡めて何かを主張したいのであるならば、自分たちと同じファクターの社会的弱者のみならず、他のマイノリティや社会的弱者についても目を向けて考えて発信するべきであると思う。つまり、多様性を想像し、道を切り拓いていく。
それができなければ結局のところ、自分たちの批判は、そのままブーメランのように自分たちを批判するものとして返ってくるからだ。
そして、それがわかれば、そもそもこうした陳腐な批判はできないのである。彼女は感覚的に「お母さん食堂」というものに違和感を覚えた。しかし、そこには「お母さん」という言葉を採用した何らかの意図があるのかもしれない。今回の場合は、そこにまず、彼女は気が付くことができなかった。
そもそも、「お母さん食堂」の「お母さん」とは性役割について言っているわけではないと思われる。あくまでイメージ、象徴としての「お母さん」である。ファミリーマートはそこに性の関係性は除外したいと思っているのでないか。だからこそ、香取慎吾を起用して「お母さん食堂」としているのではないか。こうした企業側の意図を汲み取ることなく、文字のみをみて批判することはとてもレベルが低いと言わざるを得ない。物事を理解するための教養が欠けているにもかかわらず、教養めいた主張を展開し、社会的意識が高いかのような行動をしている。さらに残念なことは、こうした人たちは偏った思想をもった人に簡単に利用されて消費されてしまいがちだ。
重要なことはこうした関係性の罠に気が付くことができなかったからといって、彼女が悪いという話にはならないと私は思う。
彼女をとりまく「社会的な常識」や「文化や慣習」では「お母さん=女性」であったというだけ。そして、フェミニズム的なことに興味をもっていたが、ジェンダー的ものをはじめ、様々な視点や知識については抜け落ちており、勉強不足であったに過ぎない。勉強不足であったのであればこれから勉強すればよいだけの話なので何も悪いことはないと思う。しかしながら、彼女を利用して、自らの運動を認知、強化させたりすることへ利用する「大人」のやり方は本当に汚いなと思う。批判すべきはそこにあるのではないかと思う。
こういった多くの「運動めいたもの」は先頭にたって、動いている人は「便利な消費物」なのかもしれない。そうした人を利用して裏からバックアップしている団体や人に注意をむけるとまた違った見方ができるのかもしれない。