「鬼滅の刃」の上弦の伍 玉壺の壺はあの国宝だと思う。

「奇妙なものだな、鬼と芸術が一緒に語られるなんて。」それは「鬼滅の刃」の上弦の伍 玉壺について考えていたときのことだ。

玉壺、彼の存在は芸術に対する愛と鬼の本能を同時に表現する独特のキャラクターである。彼は壺というアートフォームを通じて、猟奇的で残虐な芸術的センスを表現する。そのセンスは、美と恐怖が同居する領域であり、見る者に対して深い衝撃と嫌悪感を与える。

国宝 色絵藤花文茶壺がモデル

そしてそんな彼が、特に魅了されている壺に、国宝「色絵藤花文茶壺」の影響が見て取れるとすれば、それはさらに魅惑的なエピソードとなるだろう。この壺のモチーフである藤の花は、鬼が嫌うと言われている。つまり、彼がこの壺を愛することは、ある種の自己否定、あるいは自己との対話とも解釈できる。それはまるで、自分自身の弱点を見つめ、それを理解しようとする試みのようだ。そして作者は「あえて」壺の花のイラストを藤ではなく、藤っぽい何かの花として描いている。これはおそらく意識的にそうしたデザインにしたのではないかと思う。玉壺の芸術に対する愛情と、その中に織り交ぜられる彼自身の矛盾した存在。その奥深さには、見る者を引き込む力がある。

この独特なキャラクター造形には、作者のセンスや教養が見て取れる。それは人間の弱さや矛盾を見つめ、理解しようとする深い洞察力を示している。そしてその中に、鬼の弱点である藤の花が描かれた壺が登場することで、物語はさらに奥行きを増す。それはまるで、藤の花の優美さと、その中に潜む刺のような強さが共存する矛盾した美しさを描き出しているようだ。

あえての藤の花の壺だから良い

また、玉壺の愛する壺が「色絵藤花文茶壺」である可能性は、物語に新たな意味を付与する。それは鬼でありながら人間の感情を持つ玉壺が、自己の存在を問い、人間を嘲笑う。そしてその答えを芸術に求める姿を描いている。彼の選んだ壺は、彼自身の内面を映し出し、人間と鬼の間で揺れ動く彼の心情を表現する。それは、物語性の中に深みを与え、我々がキャラクターを理解する方法を豊かにする。

これら全ては、「鬼滅の刃」における物語の多面性と深さを見事に体現している。それは、我々がキャラクターや物語を理解する方法を豊かにし、新たな視点を提供する。それこそが、「鬼滅の刃」の世界を構築する、作者の豊かな教養とセンスが生み出す物語の魔法なのだ。

参照:MOA美術館 色絵藤花文茶壺 https://www.moaart.or.jp/?collections=169