旅することについてちょっと考えてみた。

ひと昔前は一人で海外へ旅することが多かったり、国内でも一人でコソコソと旅に出ることが多かった。そうした旅は往々にして現地の人と会うことが目的であり、あらかじめ、ある程度のアポを取った形での旅だった。

最近、私はふたり旅をすることが増えてきた。それは旅の位置付けが「現地の人に会いにいく」というものから、「現地で何かをする」というところに重きをおくように変わってきたと気付かされた。

ひとり旅の場合は、自己の視点で旅は作られる。あれをしたい、これをする、もしかしたらこれをしたくなる、という思いから荷物は多くなりがちだった。また、お土産も買っていかなければならないので準備に時間とコストがかかっていた。一方で、ふたり旅は相手との時間共有に重きが置かれるので、自分がこれをしたいという思いよりも、相手に合わせて動きたい、手軽に移動したいということへ重点がシフトしていきつつあると感じる。結果として荷物は少なくなっていく傾向にある。

今まで、ひとり旅は自分のやりたいこと、会いたい人とのある程度の想定された中で、視点が広がりを見せていた。ふたり旅になると、相手のやりたいことや、思いを共有する形で旅は構成されていくことになる。
つまり、今までは予想しなかったであろうものへの出会いがそこにはある。そしてそれは旅を刺激し、新たな知見を切り拓いてくれる。

J.アーリ『観光のまなざし』にあるように、われわれは旅先で、自分たちとはちがうモノや文化に出会う時に、様々なまなざしを投げかける。それらは時としてエキゾチズムやエスノセントリズムを含んだ形で構成される。ひとり旅の場合、そうしたまなざしは自分が体験した経験の反芻と、現地の人との交流の中で作られていきやすい。例えば、バッグパッカーが現地の人と交流したり、ホームステイをしたりするケースがそれにあたると思う。一方でふたり旅の場合はそこに、もう1つの視点が加わってくる。それは必ずしも同じ文化を持っていないかもしれない第三の視点であり。対象へむけられるまなざしは多方面から構成されることになる。様々な切り口から現地での体験を解釈し、楽しむことはひとり旅をする時以上に発見があるのではないかと思う。

観光とは、日常から離れた景色、風景、町並みなどに対してまなざしを投げかけること by J.アーリ