【わたしの散歩道vol.4】我が故郷 白壁の街 倉敷編

コロナ禍に巻き込まれる観光地。
感染防止策をしっかりしてGoToしよう!

倉敷市は私が生まれ育った街です。備中国南部の物資の集散地として発展した歴史を持つこの街は、江戸時代初期の寛永19年(1642年)、江戸幕府の天領に定められ、現在観光地となっている美観地区に倉敷代官所が設けられていました。倉敷川の畔から鶴形山南側の街道一帯に白壁なまこ壁の屋敷や蔵が並び、天領時代の町並みを今も残しています。

1969年に倉敷市の条例に基づき美観地区として定められ、1979年(昭和54年)に県内2件目の重要伝統的建造物群保存地区として選定されました。その江戸時代の街並みを活かし、時代劇などのロケ地としても使われています。また、1930年(昭和5年)に建てられた日本最初の西洋美術館大原美術館や1888年(明治21年)に代官所跡地に建てられた旧倉敷紡績工場の建物を改修・再利用した観光施設倉敷アイビースクエアも人気のスポットとなっています。

10代の頃、この街がいやでいやでしょうがなくて、早く出たいと思っていました。高校卒業と同時に大阪の学校に通い、就職し、父が亡くなるまでの8年間、倉敷を離れた時期がありました。倉敷に戻ってからも都会が恋しくて、しょっちゅう新幹線に乗っては大阪に通っていました。
今、50代半ばを迎え、実家から離れ、たまに帰る故郷を愛おしく、多感な時代を過ごしたたくさんの思い出がある倉敷を癒しの場にも感じる時があります。大阪で過ごしていた頃、同僚や仕事の関係者に出身地を聞かれ、「倉敷です」というと、みなさん「いいところですよね」とおしゃってくれたことを覚えています。しかし、倉敷が岡山県にあることを知っている人は少なかったんですけどね。

2020年、この街も新型コロナウイルスの影響を大きく受け、観光産業に大打撃を負いました。4月、5月は人通りも途絶え、観光バス駐車場の利用も0台の日が続いたとか。夏休みの期間も例年ならば、歩くにも苦労するほど賑わってたのに、今年はほぼ観光客が半減したそうです。
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トラベルキャンペーンによって、徐々に観光客が増えてきてはいるものの、まだまだ厳しい状況が続いています。美観地区の目玉とも言える大原美術館は、8月の終わりにようやく再開しました。

今年は、誰にとっても特別な年です。行きたいところに行けなくなり、帰りたいところに帰れなくなる。こんな虚しいことは、もう二度と起きてほしくない。一人ひとりが自分の故郷を応援し、守っていきましょう。そして家族という帰る場所を大切にするためにも、しばらくの間は、しっかりウイルス予防をして生活していきましょう。

倉敷ええとこじゃ、また おいでんせい。

*約8ヶ月ぶりに倉敷に帰りました。コロナのおかげで近いのに遠い場所になっていました。母にも久しぶりに会えて、元気そうな顔を見てホッとしました。
コラム:Jimmy
伊集院 遥
人生の移ろいを感じながら、風のように生き、雨のように歌い、太陽のように人を照らしたい。