家族や友人から聞く「悪い上司」と「仕事がデキない部下」は勘違いかもしれない。

友人で職場での人間関係に苦労している人がいる。
どうやら上司に仕事のことでよく怒られるようだ。
詳しいことはわからない。
しかし、友人は困っているようだった。
私も、上司が悪いと大変だなと思った。
だが、実際はどうなのだろうか?とも思った。

自分の友人や身内の人は何も考えずに「仕事ができる人」、もしくは「マトモ」な人であると勝手に思い込んでしまいがちだ。
そこにはなんの根拠もない。いわゆる「贔屓目」というやつが大いに関係しているのかもしれない。

友人が「仕事ができる」、「マトモな人」であるということは友人自身が「自分はデキると思っている」ということに依拠している場合が多い。
つまり、実際には「仕事のできないマトモな人ではなかった」としても、彼自身が、そうしたことを表に出さない場合、
勝手に友人は「できる人」と勘違いをしてしまう。
そして、「まともに仕事ができる人をいじめている悪い上司がいる」というストーリーになってしまう。

しかし、仕事ができる人をいじめる上司はなかなかいないのではないか。なぜなら、仕事ができる人が仕事をしないと職場は回らないからだ。いじめている暇はないのである。
むしろ、仕事のできない人の方が多い。他にも、本当は仕事ができないにも関わらず、「自分は仕事ができる」であるとか、「一生懸命仕事をしているのに評価されない」と思っている人の方が圧倒的に多いと思う。
そして上司たちは彼らを教育してマトモなレベルまで押し上げることにより時間を割かざるえないのではないかと思う。

そうした「できない社員」は上司からの指導に対しても素直に耳を傾けようとはしない傾向にあるだろう。
もちろん、そうした社員は自らの努力で効率的に成長するわけもないので、上司は何度も指導をしなければならない。
それにより、当人である「できない社員」は何度も同じことを言う上司に対して不快感をつのらせ、自分に嫌がらせをしていると感じることも考えられる。
問題は、できない社員に起因しているし、その問題を解決する努力を怠っている側にあるにも関わらずに。

もちろん逆もありうる。
「最近、仕事ができない部下がいて苦労している」ということは仕事のできない部下がいるのではなく、マトモに仕事をさせることが出来ない、教育出来ない、仕事の出来ない上司がいる。ということにもなるからだ。

つまり、話の中で、「仕事のできない部下」や「悪い上司」について語るということは自分の仕事の出来なさを表明している可能が高く、注意すべき話題なのかもしれない。
だとしても、仕事の失敗談や苦労話というものは盛り上がるのも然り。上手に付き合っていきたいとは思う。

GORILAX
コラムニスト ふと湧きだす好奇心から、いろんなセカイを巡るのが好き。実際に現地に足を運んで、海外のイベントや食、文化についてのコラムを執筆したり、国内の「面白いもの」について紹介していきます。社会学、文化人類学の視点からもアプローチしていきます。