やり口があざとくて高感度が下がったポップアップショップ 和菓子屋 とき

グランドセイコーが和菓子とコラボをしてポップアップショップ「和菓子屋 とき」という店舗を2022年10⽉7⽇(⾦)〜10⽉16⽇(日) にオープンさせた。時をテーマにして和菓子を作成して店舗で提供するという企画は興味深く面白いと思った。ポップアップショップの場所として古民家のUNKNOWN HARAJUKU(アンノン原宿)を選択したのもよいと思った。利用のための予約はあっという間にいっぱいになって予約できない状況。当日は整理券を14:00より会場入口にて先着順に配布するとのことだった。

行列ができる店はやはりすごい

不思議である。原宿表参道の週末の朝といえば何らかのイベントや販売の行列が目を引く。朝の10時にはものすごい行列ができていたりする。キデイランド原宿店の行列などは毎週すごい行列で、一体これだけの人が何を買いに来ているのかよくわからないが、長い行列を作っている。長い行列を作ってでも行きたい場所というものは、一種のブランド力として可視化できているのは確かで、これだけの行列に並んででも得たいものがあるという「価値」は素晴らしいと思う。この「価値」がほしいという企業は多いのではないかと思う。和菓子屋ときの14時に整理券を配布するというのはこの「行列」というものの価値をうまいこと再現するための手法なのではないかと思った。

14時に整理券を配布するというのは遅すぎないか

和菓子屋 ときの整理券配布は14時である。これはなかなか遅い。配布できる整理券は数が限られているのではないかと思う。それを配布してしまえば、行列はなくなってしまう。つまり、大して人気ではなく、注目もされていないポップアップが「注目されているように見せる」ためには整理券を10時や11時に配布では早すぎるのだ。原宿、表参道の店舗のオープン時間は大体11時頃が多い。つまり、人が増え始めるのは12時をまわってからになる。14時ごろは人手がピークに差し掛かる時間帯であると思う。ただでさえ人で込み合う細い道に、13時頃から整理券を求める行列がワナワナとできたらどうだろうか。なにかすごいイベントをしているのかもしれないと多くの人が思うのではないか。そして、それがSNSによって拡散され、実際に現地に行っていない人にとっては人気のあるすごいポップアップをしているというように解釈される可能性がある。

巧みなタイミングで宣伝効果を上げる

「なにか凄いらしい」というものに人は多大な興味をもつ。そしてそれの主戦場はおそらくSNSである。現地で起こっていることがどうであろうと、SNSで表象されたことこそが「真」としてイメージとして採用されやすい。よって、整理券を14時に配布して、現場の混雑感を演出する方法はマーケティングの方法として正しいかもしれない。しかし、私はそこにそこはかとなくあざとさを感じる。とてつもなくセコい手法であると思う。表面的に価値を演出して興味を引く手法であり、企画を作る人間としてそこに真摯さや誠実さが感じられないのだ。まして、「時」を刻む高級時計のイベントである。時とは絶対的な尺度がそこに存在しそれを適切に伝えるものこそ時計である。信頼そのものを構築する上で重要なものである。高級時計であるならばなおさらそうしたことに敏感であるべきであると思うし、それこそが「高級時計ブランドとしての価値である」と思う。それを小賢しいまやかしで情報発信をする態度を許容してしまうことにがっかりもしたし不快感を感じる。おそらくポップアップのイベントとしては成功したという報告書が作られるだろう。しかし、ちょっと俯瞰してみればこのイベントがグランドセイコーの価値を下げたと言わざる得ない。高級時計を買う人はそういうことに敏感な人も多いと思う。少なくとも、私は今後、グランドセイコーをつけている人をみたら和菓子屋ときを思い出し、「あざといことをしてるまやかし感のあるブランド」をつけてるから信用できないかもとふと思ってしまうかもしれない。これらはあくまで個人的な感想である。しかし、そうしたことを考える人は少なくないのではないかとも思う。

和菓子ってこんなに高いの!?

あいにくポップアップショップの初日は防風吹き荒れる雨模様だった。やはり、あざといこと、セコいことをするといい方向には運ばないからなのだろうか。夕方に行くとポップアップショップ和菓子屋ときは閑散としていた。というかお客さんは誰一人いなかった。入り口の人に、予約もしていないし整理券ももってないのですが入れますか?と尋ねると、「大丈夫ですよ。」とのと。すごく丁寧な対応をしていただき、もてなしてくれた人は素晴らしいなと思った。こんなに良いスタッフが対応してくれるのに企画を考えた人はもう少しなんとかならなかったのかと思う。中の展示はおしゃれではあるけどよくわからない。「写真をとってSNSに挙げてくださいね」という感じだった。お客さんが誰もいないのでとても撮りやすかったのはいうまでもない。出口に和菓子の販売所がありそこに女性のスタッフが3人待機していた。カウンターとカウンターの外にいるため、ガッチリガードされる。和菓子には興味があるので、買おうと思っていたのでよく見るとどれも美味しそうではある。しかしそれ以上に驚いたことがある。値段が2個で2,000円とか2,500円だったのである。テナント料なのかPR広告料なのかわからないが「1つ1,000円の和菓子もちって何?」と思った。不快感再燃である。買うのをやめて帰ろうかと思い始めるが、スタッフがガッチリガードしている。「買って帰るよね?どれにするの?」感の圧が凄い。ただ、「1つ1,000円の和菓子」というのは話のネタにはなるので1箱(スパイス水もち2つ)を買って帰ることにした。

え!?これはありなの?

2つあるので友人と食べることにした。友人にはこのもち1つが1,000円であるということは伏せておいた。小さなもちなので、友人は一口でぺろり。「美味しいね!」とのこと。私も食べてみる。餡に白豆が入ったもちだが、至って普通である。香りや風合い、味においても特に感動的なものはなかった。つまりまずくはないが「美味しくない」なぜ、「美味しくない」と断言できるのかというと、和菓子屋ときから歩いて30秒ほどのところにある和菓子瑞穂の豆大福が一口含んだだけで感動するほど美味しいということを知っているからだ。瑞穂の豆大福こそ「感動するほど美味しい」。もちろん行列はできるし、午前中には完売するほどの人気である。つまり、「真の行列のできる店」としてのブランドを持っている。個人的には1,000円以上の価値があると思う。実際の値段は250円ぐらいで和菓子屋ときのもちの倍以上は大きい。和菓子屋ときのスパイスもちは箱の裏に、もち米は新潟、白豆は北海道、シナモンは沖縄といった具合に産地や材料にこだわっているということを事細かに書いてあった。しかし、そもそも良いお菓子を作るのであれば産地や材料にこだわるのは当たり前のことではないのだろうか。そのようなことは前提条件であり、それらで「どのようにつくるのか」ということを真摯に突き詰めていくことが必要であると思う。和菓子瑞穂の豆大福は食べるだけでそれがわかる。作り手の洗練された経験と技の結晶であることがわかる。だから素晴らしい。一方で和菓子屋ときのスパイスもちは材料の良し悪しという点で満足し、その自己満足をパッケージに反映することで、価値の向上を演出している。そして、それらの材料ををどのように構成し最上のものを作り上げていくのかという点については感じることができない味だと感じた。だから美味しくない。感動もない。押し付けのさりげない産地自慢のような情報は本当にあざとく映る。そこまで産地自慢するならもう少し掘り下げて産地自慢のストーリを展開すればいいものだがそうした努力もしていない。だから満足度は低い。とても残念な思いをした。よく、和菓子瑞穂の目と鼻の先でこんなものを売ることができるなと思った。友人が食べたあとに「これ1つ1,000円なんだよ」と伝えてみた。友人は「え、それはありなの?高級時計を売るポップアップでそれはだめでしょ。」と言った。笑

チートなこととSNSは相性がよいけれど

チートなことをすればSNS上で「凄い」ということを演出することはできる。それがうまくいく場合もある。一方でそれをすることで価値を下げる場合もある。高級ラインのものはその点をよく考えないといけないのではないか。安易な話題作りを企画してしまうことは既存客やそもそも好意的に感じていた人のイメージを損ねることもあるということを。行列ができなくても真摯な企画は好意的に見ることができるし応援したいと思う。今後そのようなポップアップショップの企画が増えることを楽しみにしている。